1. ホーム
  2. 次世代の方たちへ

次世代の方たちへ

私は仕事柄、若い人達と積極的にお話をするようにしております。
お話をする中で感じるのは自分に自信を持っていない人が多いということです。

 

「勇気」が足りない。
こんなことを言ったら他人がどう思うだろう。
こんなことを言ったら自分が不利になるのではないか。

 

など、他人の顔色を伺いながら自分を守ることばかりを考えているように思えます。

 

自信というのは過去の経験の中からしか生まれません。
何かにチャレンジしようとしたら失敗は付き物です。
私自身を振り返ってみても成功したことよりもむしろ失敗したことの方が多いです。

 

「どうせ駄目なくらいならやらない方がいい」とやらない理由を考えるほど無駄なことはありません。
何かに挑戦して全力を尽くしたのであれば失敗したとしても残るものがあります。

 

私は自分自身の経験から成功よりもむしろ努力した結果の失敗から学ぶことが大切だと考えています。

 

私自身、幼稚園、中学、高校、大学、大学院と受験をしてきました。
しかしながら、高校受験、大学受験には失敗してしまいました。

 

子供の頃から全てを勉強に傾けてきたという自負はあります。中学時代は本当によく勉強しました。

 

朝4時に起床して登校するまで勉強し、部活が終わって塾に行って勉強、
入浴、夕食を済ませたらまた勉強、1時に就寝する生活を毎日続けました。
私も人間ですからやりたくない日もありました。しかし、1日休めばそれを取り返すには2日はかかるものです。

 

その労力を考えると習慣を崩すことはできませんでした。
中学3年間、1日もその生活を崩したことはありませんでした。

 

誰よりも努力をしたという自負があっただけに高校受験の失敗は悲しかった、帰宅してしばらく泣き続けておりました。

 

滑り止めにしていた高校は勉強しかない高校でした。
早朝から課外授業が始まり、夕方もまた課外授業で丸一日勉強です。
勉強しないと全く分からなくなるので勉強しましたが、中学時代ほど勉強に対してモチベーションを保つことができませんでした。

 

その結果、第一志望の大学に落ちてしまいました。
落ちて当たり前、落ちたのに涙も出ないし、悔しいという感情すら湧きませんでした。

 

受験失敗という結果は同じですが、高校受験と大学受験では自分の中に残っているものが明らかに違います。
高校受験では自分が頑張ることが出来たという自信が残りましたが、大学受験では何ら得るものがなかったというのが実感です。

 

当時、手を抜いた自分に対しての後悔は40年近く経った今でも残っています。

結果よりも過程が大切だと思います。

 

私の場合は勉強でしたが、スポーツ、音楽など他のことでも同様です。
何かをするときは「そのことしか考えられない」という一種の狂いが必要です。

 

その時期を経験してきているかどうかはその後の人間形成に深く関わってきます。
人生のある時期、頑張ってみると自信もついてくるし、他人と自分を比べなくなるものです。
自分の敵は自分自身であって他人ではないということもわかってくると思います。

 

お釈迦様は
「旅に出てもしも自分よりも優れた者か、または自分に等しい者に出会わなかったら、
むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道連れにしてはならぬ。」と仰っています。

 

きちんとした自分の判断基準を持って他人に惑わされないようになって頂きたいと思います。

ページの上部へ